人物の雑学

[01]ピカソの本名は超長い
ピカソの本名は、
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソです
頑張って覚えてみましょう(笑)

[02]ミイラになってる哲学者
ミイラと言えば、エジプトを思い出しますよね。
でも、エジプトだけでなく世界中に色んなミイラがあります。
そんなミイラの中からある一体を取り上げたいと思います。
そのミイラはベンサム(1748~1832)のミイラです。
ベンサムは近代イギリスの哲学者です。ちなみに、本当はベンタムっていう発音の方が近いらしいです。
で、そのベンサムがなぜミイラになっているのかというと、彼自身が遺言書でそのように要求したかららしいです。
どういう動機でそのようなことを要求したのかはわかりませんが、かなり変わった人の印象をうけます。
ベンサムの遺体は、死後遺言に沿って、服を着て杖を持って椅子に座った状態でロンドン大学に保存されています。
ベンサムの風貌が見られるように公的な行事の際に、倉庫から時々持ち出されたそうです。
現在ベンサムの頭は本物ではなく、蝋で作られた贋物です。
というのは、本物の頭は、長年体とおんなじように展示されていたのですが、たびたび学生に盗まれたいたので、いまは厳重にしまわれています。
また、ベンサムの頭が保存の過程で深刻な損傷を受けているそうです。
実物が気になる方はネット上で探せば写真が見られます。

[03]モーツァルトが作った曲
モーツァルトが作った曲に「俺の尻をなめろ」という曲があります。
この曲は彼が26歳のときに作曲した声楽曲で、6人の歌手が延々と「俺の尻をなめろ」と合唱する歌です。
モーツァルトが友達とふざけて歌うために作曲したものだと言われています。
機会があれば、一度聞いてみたいです(笑)

[04]服部半蔵は忍者ではない
徳川家康に仕えていたことで知られるあの服部半蔵は、実は忍者ではありません。
実際、僕も彼は忍者だと思っていました。でも、彼は忍者ではなく、三河の国の武将だったそうです。
伊賀で生まれた服部半蔵は徳川家康の側近として、幕府の成立に貢献しています。

[05]ゴジラの鳴き声コンテストで優勝したのは・・・
1984年に「ゴジラ」の新作映画が製作された際に、「ゴジラの鳴き声コンテスト」が開催されました。
ゴジラの鳴き声のそっくりさんを決めようというこのコンテストで優勝したのは、歌手のデーモン小暮閣下です。
このとき、閣下は「世を忍ぶ仮の姿」でコンテストに参加し、ほかの参加者をよせつけない圧倒的な上手さで優勝をしたそうです。
その後、このモノマネが縁で、デーモン小暮閣下は1989年に公開された「ゴジラVSビオランテ」にゲスト出演することになりました。


[06]遠山の金さんはコーヒー好き
遠山の金さんのモデルとなっている人物は、江戸北町奉行を勤めた遠山景元(かげもと)です。
彼の父親遠山景普(かげみち)が長崎奉行だったころ、出島にいたオランダ人と親しくなり、コーヒーを教えられました。
その影響で金さんつまり遠山景元もコーヒー好きになったそうです。
ちなみに、当時の日本ではコーヒーは「焦げ臭い」と人気がなく、マニアックな嗜好品でした。

[07]格闘家の武蔵は新右衛門さんの子孫
新右衛門さんとは、アニメ「一休さん」に出てくる有名なキャラクターで、一休さんの味方をしてくれる正義感の強い武士です。
実際の新右衛門さんは足利義政将軍に仕え、連歌に秀でていた武将で、実際に一休さんと新右衛門さんとは交流があったとする説があります。
そんな新右衛門さんはK-1ファイター武蔵さんのご先祖様です。
実際に武蔵さんも「私のご先祖さまは蜷川(にながわ)新右衛門です」と認めています。

[08]笑い転げて死んだ人
笑えるけど、ちょっと悲しい雑学を紹介します。
なんと、古代ギリシャの喜劇作家ピレモンは、自分の考えたジョークの面白さに笑い転げて死んだそうです。
どんなジョークなのかすごく気になりますが、そのジョークは残っていません。
でも、すごい才能ですね笑


[09]ルソーは露出狂
世界史の教科書にも出てくるフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは、なんと露出狂だったんです。
彼自身が書いた『告白』という自伝に、その名の通り告白しています。
その著作で、彼は女性に性器を見せると興奮すると認めています。
彼が変態でも(笑)、彼の著作(『社会契約論』、『人間不平等起源論』など)の素晴らしさは変わりません。

[10]豊臣秀吉は6本指だった?
ポルトガルの宣教師・フロイスが残した歴史書の中に、秀吉の容姿について「六本の指があった。」との記述があります。
また、前田利家が書いた書物の中にも「秀吉ほどの人なのに、幼いころに指を切り落とさなかったので、信長に『六ツめ』と言われていた。」との記述があるそうです。
こうしたことから、秀吉は6本指ではなかったかと言われています。
ちなみに、右手の親指が二本あったそうです。

[11]ワインパーティを開いた石田三成
石田三成は関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れて、斬首された安土桃山時代の武将です。
1597年2月9日に、石田三成がワインパーティを開いたという記録があります。
この日の夜、三成は、伊達政宗や小西行長らを招いて茶会を行いました。
その茶会の後、会話を楽しんで様々な茶の道具を披露したとき、長崎より到来したワインを飲んだそうです。
戦国時代のワインはおいしかったんでしょうか。

[12]ゴッホの生前に売れた絵は一枚だけ
ゴッホの生前に売れた絵は『赤いブドウ畑』の一枚だけです。
しかも買い手はゴッホの友人の画家。内輪での売買だったんですね。

[13]おならの爆発で死んだ人
おならはガスで、主な成分は窒素や二酸化炭素、メタン、水素などで、全部で約400種類もの成分が含まれています。
メタンや水素は燃料にもなる成分なので、当然、おならも燃えます。
それどころか、爆発する可能性もあります。
実際、1978年に、デンマークで腹部の手術を受けていた青年がおならの爆発で亡くなっています。
彼の腸内にたまっていたおならが、電気メスの熱で爆発したのです。
ちなみに、日本でも手術中に電気メスの熱でおならが爆発したという事例が報告されています。

[14]ナポレオンの辞書には
ナポレオンというと、「我が辞書に不可能の文字はなし」という言葉が有名ですが、彼が編纂させた辞書には「不可能」の項がちゃんとありました。

[15]1万円札の福沢諭吉は何歳のときの顔?
1万円札に描かれている福沢諭吉の肖像は、明治24年(1891)、諭吉が56歳のときのものだと言われています。
慶応大学の資料室にあったものを使用したそうです。
56歳といえば、諭吉の子供たちが結婚した頃であり、諭吉も親としての幸福をかみしめていた時期だと言われています。

[16]「むすんでひらいて」の作曲者
「むすんでひらいて」を小さい頃に歌ったことがある人も多いと思いますが、この曲の作曲者はフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーです。
彼は、20代のときに音楽教師について音楽を学んでいたそうです。

[17]タモリとみのもんたは同じ誕生日
タモリさんは1945年8月22日生まれ。
一方、みのもんたさんも1944年8月22日生まれで、同じ8月22日生まれです。
ちなみに、足利義満も8月22日生まれです。

[18]倖田來未の本名
歌手の倖田來未(こうだくみ)さんって本名で活動されているとなんとなく思っていたんですが、実は「倖田來未」って芸名だったんですね。
本名は神田來未子(こうだくみこ)っていうそうです。
苗字の漢字を変えて、子を取ったんですね。
ちなみに、倖田さんが生まれた日(1982年11月13日)のちょうど10年前(1972年11月13日)に木村拓哉さんが生まれています。

[19]大正7年7月7日生まれの人は
大正7年7月7日に生まれた人は、平成7年7月7日に77歳になりました。
・・・それだけです・・・

[20]昭和33年3月3日生まれの人は
昭和33年3月3日に生まれた人は、平成3年3月3日に33歳になりました。
ものまねで有名な栗田貫一さんは昭和33年3月3日生まれです。